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自己分析と将来の夢「私のサンプリングノート」

ロボメカ予稿の合間にこれまでの尊敬してきた人物という面から自分を分析してみた。

私が始めて人を尊敬したのは小学校の頃だと思う。

私は小4の頃から空手道場で空手を習っていた。

その道場にはのちに世界大会や高校インターハイで優勝するような優秀な選手を多数育成した。

若く優秀な師範代が率いていたその道場は老若男女に門戸を開いていたから

下は幼稚園から上は社会人までが練習する。

そこでは高学年の者が低学年の者の面倒を見るという空気が出来上がっていた。

先輩は一緒に遊んでもくれ、叱り、励ましてもくれた。

小さかった私は、自然に高学年の先輩を尊敬した。

先輩の真似をしたいと思った。そういうことさらっとができる事がカッコいいことだと思った。

次に人生を変えられたのは中2の時。

私はおとなしくて比較的真面目な生徒だったから学級委員をやっていて、学校ではそういうキャラとしてラベル付けされていた。でも学級委員なんてのは教師のパシリでしかなく対等に扱ってくれることは少ない。

でも中学2年生の時の担任は違った。

その先生は自分の理想を持っていて、お前らは大人だからなあといってなんでも対等に話してくれた。

どう思うかと聞いてくれた。その先生の勧めで私は生徒会長になった。

生徒会でイベントに向けて企画し運営することは本当に刺激的で楽しくて次期会長にも立候補して続けて二回やった。自主的に何かをやることの達成感とか楽しさを知った。

そのころ私は、漠然と将来は先生になりたいなあと思っていた。

進路は親に高専を勧められ、自分の学力で行ける範囲ぎりぎりいっぱいでもあったこともあり言われるままに決めた。学科は中3の時の担任の「電子制御でいいんじゃないか」の一言で決めた。

今思えばなんにも考えてなかったんだねえ。みんなと違う、かっこいい。くらいにしか思ってなかった。

で、高専。高専に入学し寮に入ると周りの人物の優秀さにびっくりした。

最初は学生会や寮生会に入って色々関わってみたいと思っていた気持ちも、自信と一緒に小さくなった。

そうやって私が自主的に何かをすることは、バンド活動しかなくなった。

高専で影響を受けた人はたくさんいるが、もっとも影響を受けたのは軽音楽部の八木さんだと思う。

mixiに教員を批判した文を書いて怒られたり、打ち上げで奢ってもらったり、すれ違えば色々話してくれた。

こういうことがカッコいいことだというのを行動を持って示してくれた。

そして3年生も終わり、右京が中退してバンド活動もなくなっていよいよ私の高専生活は何もなくなった。

4年生から自宅通学に切り替えていたからバイトに明け暮れたりもした。

そこでコミュ力の無さを思い知った。

人に私の人生を捧げてもいいという気持ちがあることを知った。人のために金を稼ごうと思った。

私の人生を変えた青木先生と始めて喋ったのは4年生の工場見学の時だった。そのころ私は右京とあるアイデアを共有していて実現しようとしていた。また自主的に何かを始めようとしていた。

青木先生の部屋に押しかけたり通ったりしながら始めたTeckKidsという活動はハイテク鬼ごっこという形になった。

そこでまた私は自分で考えて実行する楽しさや達成感を思い出した。

そして4年生の春休み、3月11日に大地震が起きた。

その日を境にして私は不安定になった。進学をすることを決めていたから勉強をしなければいけないのに2chまとめを地震の話題に始まり、くだらない冗談話まで一日中眺めた。

原発が壊れて、社会も混乱して、なにがなんだかわからなくなった。

そして春休みが終了し研究室配属、私は初日に青木先生の所へ行き専攻科に青木研究室配属として専攻科に単願したいことを告げた。春休みを無駄に消費した私には大学へ編入することは困難であると思えたし、学費の面で苦しいこともあった。

まったく時期が外れた、本来なら受理できない単願に対して先生は動いてくれた。

学科会議では揉めたりもしたらしい。

そうして私はクラスメートに迷惑をかけながら青木研究室に配属が決まった。

私のせいであきらめざるを得なかったクラスメートに対して、誰よりも長く研究室に居て、研究を進めることが私流の責任のとり方だと考え、がむしゃらに研究室に居座った。

アルバイトもなによりもまず研究を優先することを考えて、終電で帰っても出勤できる深夜でできるものにした。

2011年末から2012年にかけて私にまた転機が訪れた。

色々考えた。私の代わりに彼が青木研究室に入っていたら、違った結果になったかもしれない。とか。

色々考えた結果、生きている私がもっとしっかりしていかなくてはいけないという結論に達した。

決意してからは今まで悩んでいたこともすべて取るに足らない小さなことのように思えた。

私は後輩や未来の高専生に私達のような思いを味わってほしくない。そういう気持ちから学生団体を作ることを考えた。高専に入学して2度目の活動をしようと思った。

そして、高専生による高専生のための人生相談を行う学生団体を立ち上げることにした。

そうして考えていくうちに私は将来先生になりたいと思った。今まで私を激励し、行動させてくれた数々の尊敬する人物のように私も誰かを激励し、行動させたい。

私が今までしてもらってきたことを、私が誰かにすることで私が感じてきた恩に対する恩返しをしたい。

私は今そう考えている。

私は先生になりたい。

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42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/02/24(金) 19:01:28.33 ID:CUajnJ4V0

夜中にコンビニが開いてるってことは
夜中にコンビニに納品するトラックと運転手がいるってこと
夜中にコンビニに納品するトラックと運転手がいるってことは
夜中にそいつらを送り出し、朝方にそいつらが帰ってくる物流センターも24時間やってるてこと
星の数だけコンビニがあるってことはそれだけこの社会が寝ない社会だってこと
明確に人体に有害だと証明されてる夜勤が公然と認められてるってこと
本来、命を削ってまでやる仕事とは、医者、警官、軍人、消防のように人命の保全に携わる職業だけのはずだが
日本社会は堂々と「命を削って儲けなさい、働きなさい」と肯定して認めたの

そうすると仕事に追われて余暇が無くなる。競争も益々激しくなる。脱落する人も増える。
子供を生んだり育てたり親を介護する時間も無くなる。なら消費も少なくなる。
けど国の運営にかかる費用と手間は変わらないので更に税を増やさないといけなくなる。
人が減ってるのに、働けない人が増えてるのに、税を増やさないと国を回せなくなる

「破綻した社会の象徴」として最も判りやすいものはコンビニである。
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かつて交 通事故で1万人を超える死者が毎年続いていた時、それは「交通戦争」と呼ばれた。

いまこの十数年の間、毎年3万人を超える自殺者が出ている。さらに、それWHOの基準に合わせて変死者をも含めた数字にするならば、実に毎年10万人もの自殺者が十数年連続で出ていることになる。

この十数年間で100万人以上の人間が自殺しているのがこの日本という国の現実だ。


これを「自殺戦争」と呼ばずになんと呼べばいいのか。

3ヶ月前に投稿されました
本当に、モノづくりがしたい人は、ひとりで作り始めています。絵を描いたり、曲を作ったり、ゲーム作ったり、映画を撮る人も居る。これは衝動であり、技術がないからやらない、仲間がいないからやらないとかそういうものではないです。
3ヶ月前に投稿されました
leletone:

すごいひきつけられるこれすごい

leletone:

すごいひきつけられるこれすごい

(出典: hamcycles)

3ヶ月前に投稿されました
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昔は出会いの場は少なかった。だから狭い世界で出会った人と、多少のことは目をつむって暮らしてきた。昔の大人は我慢強かった。世界が狭いがゆえに、そこで生きて行くしかないことをよく知っていた。狭い世界は、15年や20年も人生を送れば一通りのものが見られた。その世界の外側があることは認識してても、届くものではなかった。好奇心は失われ、黙々と生きる日々を送ることができた。

いま、世界は事実上の無限に広がっている。人々との出会いはいくらでもある。聞いてすらもらえなかった話を聞いてくれる人々にもどんどん出会える。

住みたいところに住み、食べたいものを食べ、寝たいところで寝る。そんなのもそう難しい話ではなくなった。

広がりすぎた世界にいると、好奇心の満足することがない。飽きることがない。だって世界は無限だし。

好奇心を失うことが大人になることだった時代は、そこで終りを告げる。昔の大人から見れば、いつまでたっても子供のままに見えるだろう。落ち着くことがない。だってまだまだ新しいものが見えるし。

どう考えても若者論より「大人論」のほうが必要ですという記事。この内容には大きく共感するものがある。無限の時代に生きる我々は、新しい大人像を模索する必要がある。

あるべき大人像を模索していく - 狐の王国

「豊かすぎる時代」には、大人の在り方も変わるのか。

(via fintopo)

4ヶ月前に投稿されました
有名な研究機関のTさんが採用面接をしたとき、応募者が自分の書いた1つか2つかの論文の説明しかしないような奴ばかりで情けなかったと言っていた。30本くらいの論文を書けるテーマと構想を語り、現在の1,2の論文はその重要な1歩目だというように言えないといけないそうな。